ウパカとコンダンニャ~最初の説法の失敗と成功

ウパカ~お釈迦さまの最初の説法は失敗した

お釈迦さまは、梵天という創造主的な神の要請を受けて、ご自分が悟ったことを「言葉」で伝える活動を始めることになりました。

梵天勧請~パーリ仏典・中部経典26経「聖求経」

ところで、お釈迦さまが一番最初に説法した人間がいます。その人は「ウパカ」という修行者です。

しかしなんとこともあろうに、お釈迦さまは最初の説法に失敗しています。

ウパカは、お釈迦さまが立派な方に思われたので、「あなたの師はどなたですか」と訪ねます。そうしたところ、お釈迦さま悟っていますので、「私には師匠はいません。私よりもすぐれた者はおりません(私は仏陀です)」と言われました。

が、ウパカは、「そうかもしれませんね」と頭を振って去っていったとあります。

ちょっとこのシーンは意外に思いますよね。梵天に請われて仏法を説くと決心されたお釈迦さまの最初の説法は、いきなり失敗だったということです。なんと。

コンダンニャ~お釈迦さまの説法が最初に成功した人

お釈迦さまが人間に説法して一番最初に成功した方は、コンダンニャという方です、このことも仏伝には記録として残っています。

コンダンニャは、お釈迦さまの指導を受けて、悟りを得ることに成功します。このとき、お釈迦さまは「アンニャー・コンダンニャ」と感嘆の言葉をあげたといいます。

「アンニャー・コンダンニャ」とは「コンダンニャは悟った!」という意味のようです。

奇しくも「アンニャー・コンダンニャ(コンダンニャは悟った!)」という言葉が、そのまま後のコンダンニャの通称になります。

コンダンニャは、悟って後、「アンニャー・コンダンニャ」と呼ばれるようになります。

お釈迦さまは、初めて自分以外の人間が悟りに至ったことから、大変うれしかったようです。自分以外の人間が一番最初に悟りを得たので、「コンダンニャは悟った!」と感嘆した言葉がそのまま、コンダンニャの通称になったのでしょう。

もしもウパカが一番最初に・・・となりますと、「アンニャー・ウパカ」という言葉が残ったかもしれません。

ちなみにコンダンニャは、無色界禅定の最高峰である非想非非想処を体得していたようです。つまりコンダンニャも優れた修行者だったということですね。
非想非非想処

ウパカはその後お釈迦さまの弟子になる

で、お釈迦さまが最初の説法で失敗したウパカ。ウパカはその後、お釈迦さまのお弟子になります。

ウパカはお釈迦さまと道ばたで出会った後、還俗(一般社会人)し、結婚します。

しかしなんと、その奥さんが、お釈迦さまの元で出家して、お釈迦さまの弟子になってしまいます。

で、出家する間、夫婦の間で今も変わらない夫婦のやりとりがあったことが残っています。

残された夫のウパカは、妻の後を追うように出家していきます。で、ウパカも悟り、阿羅漢になったといいます。

話しのオチがハッピーエンドで、よかったですね。

お釈迦さまは頭痛・背痛・腰痛持ちだった

このようにお釈迦さまは、成道した最初の説法は失敗しています。華々しく悟って成功街道を歩む、、、といったストーリーではなく、最初に説法をしたウパカでは失敗しています。

まるで人生そのものであるかのようですね。

お釈迦さまといえば、スーパーマンで超人のようなイメージを持つ方もいらっしゃると思います。が、原始仏典で描かれるお釈迦さまは人間的です。

たとえば、頭痛持ちで、背中や腰がよく痛いと言われていたといいます。

実在のお釈迦さまは、圧倒的でキラキラして完全無欠な方ではありません。またいわゆる仏頂面して、しかめっ面をしてはいません。いつも微笑んでいて物静かな方だったといいます。

お釈迦さまは大神通力者だった

ですが神通力(超能力)はすごい力を持っていました。旧約聖書に出てくる「モーゼの海割り」と似たようなことをしています。

このことは長部経典 第2経「沙門果経」にあります。カッサパ三兄弟を導く際に、ブッダは深い川底のたたずみ、川の真ん中に大きな穴が空いていたといいます。

また長部経典 第16経「大般涅槃経」には、お釈迦さまと比丘の一群が、神通力を使って大河を飛び越えていったことが伝承されています。

お釈迦さまもさることながら、お弟子さん達も神通力を持っていたわけですね。お釈迦さまとサンガは、すさまじい集団だったことが、こうしたエピソードからもわかります。

そんなお釈迦さま。
2500年経っても惹きつけられますね。