お釈迦さまが亡くなって100年くらい経ったとき起きた「根本二大分裂」は、南部の大衆部による分派活動とされています。
部派仏教は、元々、ローカルな仏教で微妙な違いがあったものの、南部の大衆部が異議を唱えたことで、根本二大分裂という事件となり、事実上の分裂が起きてしまいました。
根本二大分裂のその後、
・北部・西部・東部・中央部・・・上座部
・南部・・・大衆部
という構図になってしまいます。この分派は、お釈迦さま亡き後、100年くらい経ってから起きた出来事です。
そして、その後、上座部と大衆部は、それぞれ個性的な道を歩み出すようになります。上座部は、哲学的なプローチをますます深め、論書(アビダルマ)という仏教の分析をどんどん深めていきます。
上座部系の部派仏教では、仏陀が説いたことを精力的に分析・整理し、そこからさらに見解を深めて、森羅万象の存在原理まで追及するようになります。
哲学色を帯びた仏教となっていき、いわば「左脳の仏教」となっていきました。
これはインド人の気質によるところがあるかもしれません。インドの哲学は、ウパニシャッドに見られるように精緻で膨大です。「仏教の左脳化」は、インド人ならではの変遷であろうかと思われます。
やがてお釈迦さまが亡くなって200年くらい経つと、各地方での仏教に随分と違いも見られるようになります。このことに気が付いた方々も出てきたのでしょう。やがてて「おいおい、これは大変だ」ということになり、全インドの長老らが集まり、仏教の統一化を行います。
これが「第三結集(だいさん-けつじゅう)」という集まりです。
この第三結集のときの議事録が残っています。記録書ですね。その議事録が「論事(ろんじ)」という書になります。
そして「論事」を見ていきますと、誠に驚かされます。その、「論事」の驚くべき内容とは?続きはまた次回に書きます。