部派仏教とは?
仏教の中に「部派仏教」というのがあります。これは「アビダルマ仏教」とも呼ばれるものです。
仏教は、
原始仏教 ⇒ 部派仏教 ⇒ 初期大乗 ⇒ 中期大乗 ⇒ 後期大乗 ⇒ インドではほぼ消滅
このような変遷の歴史をとたります。部派仏教は、ブッダがお亡くなりになって100年くらいしてから、インドの各地に誕生します。
で、部派仏教・アビダルマ仏教とは、一言でザックリといってしまいますと「哲学的なアプローチで仏教を分析・整理する仏教」になります。厳密にいえばちょっと違いますが、わかりやすくいえば、「学問仏教」「仏教の研究」「理屈の仏教」となります。
部派仏教は18以上あった
部派仏教時代は、インドの各地に18以上の部派があったとされています。
部派仏教の数などは、資料によって異なりますが、最低でも18部派はあったようです。実際は30以上あったのではないかと思います。
部派仏教はインド中に誕生します。分布をザックリいいますと、
- 北部地方・・・説一切有部(せついっさいうぶ)※最大派閥
- 西部地方・・・上座部(じょうざぶ)
- 南部地方・・・大衆部(たいしゅぶ)
- 中央インド・・・正量部(しょうりょうぶ)
- 東部地方・・・いろいろな部派(お釈迦さまが主に活動していた地域)
となり、全インドに分布していました。
部派仏教といえばアビダルマ(論書)
で、このようにインド中に誕生した部派仏教ですが、部派仏教の各部派ではダンマ(仏法)の研究を行います。
その研究書がアビダルマ(論書)と呼ばれる仏法の学術論文集です。
当時の部派仏教では、それぞれがダンマ(仏法)を研究して、各部派がアビダルマ(論書)を作成し所蔵していました。ですので最低でも18のアビダルマがあったんですね。
しかしながら現在、残っているアビダルマは、
・分別説部・・・七論
・説一切有部・・・七論(六足発智)
の2つのみになります。
テーラワーダ仏教圏で所蔵しているパーリ語のアビダルマ(分別説部の七論)と、中国仏教で漢訳された説一切有部の阿毘達磨(アビダルマ)。この2書だけです。
アビダルマは、解脱した阿羅漢らを中心に共同研究&共同執筆した、まさに仏法の学術論文集です。大変ロジカルでもあります。
しかし、これが行き過ぎてしまうようになって「学問仏教」「仏教研究」の様相を呈するようにもなっていきます。
部派仏教が誕生した理由
お釈迦さまがお亡くなりになった後、学術性や研究色の強い仏教となっていきますが、何故、こうした仏教になっていったのでしょうか。
その理由は、いくつか考えられます。
お釈迦さまはアビダルマを推奨していた
一つは、ダンマ(仏法)の研究は、お釈迦さまが推奨していたことだからですね。
そもそもお釈迦さまが在世の頃から、お釈迦さまご自身が仏法の分析や研究を各人が行うことを勧めていました。
実際、原始仏典であるパーリ仏典・長部経典33経「等誦経(とうじゅきょう)」は、アビダルマ的なお経だったりします。
サーリプッタ尊者を中心に、お釈迦さま在世の時代からダンマの研究(アビダルマ)は行われていました。
言語の違い
また当時は、今のように情報の行き来が少なかったようです。
上記でも説明しましたが、部派仏教はインド全土に誕生しますが、大きく分けた5つの地域では、言語(言葉)そのものが違っていました。
現代的な感覚でいえば、それぞれが「外国」ですね。同じインドであっても言葉が違うため外国のような感じだったのでしょう。
情報伝達の不十分さ
しかも当時は、今のようにインターネットもありません。手紙すらも怪しい時代です。通信手段が乏しい時代です。せいぜい実際に会って口頭で言葉を交わす程度ですね。
必然的に情報交換が少なくなります。つまり、それぞれの地域でローカルな学術展開をしていくのもやむを得なかったわけですね。
つまり情報が行き交うことが大変少なかったことが原因で、部派仏教特有のローカルな特色を帯びていったのでしょう。
情報の伝来が少ないが故に、18以上の各部派は、それぞれの分析や分類、研究をして、それぞれ微妙に異なるアビダルマを形成していったものと思われます。
部派仏教は当時としては必須の変遷
ということでして、整理しますと、
1.ブッダがアビダルマを推奨していた
2.インドとはいえ言語が異なっていた
3.情報の伝来が極めて乏しい
これらが理由で、個性的な部派仏教が、インドの各地に誕生したのでしょう。
比丘同士がいがみ合ったり、言い争って分派したのではありませんね。また比丘が主義主張を言い出したから、部派仏教が誕生したということはありません。
当時の時代が、部派仏教を生み出したと考えるほうがナチュラルです。
部派仏教の違いがやがて問題化~根本二大分裂
しかし、お釈迦さまが亡くなって100年くらい経ってきますと、それぞれの地方にある仏教(部派仏教)が微妙に違っていくようになります。
中でも100年くらい経ったときに「根本二大分裂」という事件が起きます。これは戒律をめぐる議論の末、南部の大衆部が他の仏教とは違う道を歩み出すことになった事件です。
根本二大分裂によって、仏教がほぼ二分されることになります。
根本二大分裂によって、仏教はセクト化が出てくる印象ですね。
実際、テーラワーダ仏教の中には、他の部派仏教を認めようとしないところもあります^^;経典や論書を絶対視する原理主義なところもあります。「私のところこそが正しい」という信念は、必ず争いや不和を生み出しますね。
根本二大分裂については、次回、書いてみようと思います。