論事にある、驚くべきこととは、
・十方に諸仏がいる。
これです。
いわゆる「十方諸仏(じっぽうしょぶつ)」です。初めて目にする方は「何のこと?」と思うかもしれませんが、大乗仏教では重要な思想になってきます。
十方とは、十方世界のことで、全世界、つまり「全宇宙」のことです。そうして、「十方諸仏」とは、「全宇宙には数多くの仏陀がいる」ということです。いわば「宇宙的仏陀観」です。
「宇宙には、多くの仏陀がいる」と聞けば、現代人ならスピリチュアルやその他の思想も知っているので、「はあ、まあ、そういうこともあるでしょうねえ」と考える人もいるでしょう。
けれども、原始仏教では、こういう思想はありませんし、お釈迦さまは言及されませんでした。地球の過去において、仏陀がいらっしゃったことは原始仏教でも説明しています。ですが、十方世界という宇宙に数多くの仏陀がいることは、言及されていませんでした。
もっとも「一つの世界に、一人の仏陀が現れる」といった言及はあります。もしかすると、お釈迦さまのこの言葉は「一つの銀河には、一人の仏陀が現れる」といったような理解ができて、そうして「十方世界の仏陀」といった発見につながったのかもしれません。
「十方諸仏」は、後の初期大乗や、中期大乗、後期大乗という大乗仏教の時代になりますと、「多仏」となり、次から次へと仏陀が登場し、空想のような話しが多くなっていきます。このような展開になったのも「十方諸仏」の思想が根底にあったからです。
それくらい「十方諸仏」の思想は影響力があったということです。
重要なことは、お釈迦さまがお亡くなりになって、わずか200年の間に、「十方諸仏」のことが、部派仏教の中に既に出ていたということです。
しかもお釈迦さまが亡くなって約100年の間に、既に「異説を唱える者あり」という記録も残っています。おそらく、かなり早い段階で、初期大乗に通じる見解をを言い出した方々が出てきたのではないでしょうか。
ところで、この「十方諸仏」を提唱したのは、大空派(方等派)といわれる部派です。実は、大空派(方等派)という部派は、後の大乗仏教成立に関わったとされています。
「十方諸仏」の見解は、果たして妄想や空想の産物なのでしょうか?
私は違うと思います。
禅定に入り、その禅定力で宇宙を垣間見たところ、他の宇宙にも仏陀がいる(いた)ことを知り、そうして「十方に諸仏がいる」と言い出したのではないかと推察しています。
なぜなら、論事は、禅定体験者による見解を検証した議事録と考えられるからです。したがって、「十方諸仏」の見解も、禅定体験を経た末に出された考えではないかと推測できます。
「十方に諸仏がいる」と言い出した大空派(方等派)は「大衆部」に属する系統になります。大衆部とは、根本二大分裂を起こした部派ですね。分派活動を始めた部派から、このような見解が出てきたということです。ここれは大変、注目に値します。
想像になりますが、根本二大分裂は、戒律をめぐる違いで分派だったと、歴史的には解釈されていますが、それ以外にも原因があったのかもしれません。
大胆な推理ですが、以上のように考えます。
ところで仏教は、こうした禅定を抜きにして考察できない側面があるとも思います。近代の仏教研究では、こうした部分は「想像の産物」や「創作」として一蹴されやすいのですが、私はそうではないと考えています。
そして、論事を見ていきますと、当時の部派仏教の特徴が、別の観点から整理できると思います。従来の仏教史で考えられているのとは違う解釈です。
その解釈とは?