文明国の仏教修行
文明が進むにつれて、世の中、資本主義が蔓延していますね。といいますか、今のところ、
文明=資本主義
といったのが主流な様子です。
よく物質文明なことが悪者として扱われますが、私は物質文明は悪いとは思いません。問題なのは進め方です。
端的にいえば、進め方が適切でないため、資本主義が持つマイナスな側面が目立ってしまっているんだと思います。
物質文明はありがたいものです。
特に医療。医療は素晴らしいと思います。もちろん度が過ぎたり、誤った医療行為もあります。そういうものはを抜きにすれば、医療は素晴らしいですね。
また自動車を始めとした交通機関を発達発展させてきた鉄鋼関連、機械、建築産業も素晴らしいです。
けれどもこれらの物質文明は、資本主義という煩悩を強化する弱肉強食のフレームの中で進められていますので、どうしても無理や殺伐としたものが内包されてきます。
他社よりも、より早く、より安く。より多くの顧客・ユーザーの獲得。販路拡大。
こうしないと自社が潰れてしまう恐れもでてきて、結果的に欲望・恐怖・無知を強めていかないと生き残れない(文明を促進できない)といったことになります。
物質文明は素晴らしいと思いますが、そのアプローチが、煩悩を強化する資本主義の手法ですので、どうしても無理や矛盾が出てきます。私はそう考えています。
物質文明の社会で生まれ育った現代人は、こういった背景を無意識のうちに背負っています。
昔ながらの仏教修行は先進国では難しい
仏教の修行をする際、この文明人(資本主義)特有のクセを排除していかないとなかなか進まないといった現実があるようです。
これは修行の進んだ某指導者から聞いたことになります。
アジアで仏教が盛んな国にミャンマーがあります。
ミャンマーといいますと、軍事国家というイメージがありますが、実際は素朴で牧歌的な所のようです。仏教国ですので、とてもやさしいといいます。
ミャンマーは、昔ながらの仏教(本来の仏教)をそのまま受け継いでいて、修行の途中で超能力が得られることも認めています。
パオ森林僧院では、神通力を得ることが必須にもなっている程です。ですがカルトではありません。ノーマルで高尚なところです。
しかし超能力と聞けば、日本人の多くの場合、先ず好奇心や欲望がムクムクと起きてしまいます。中には、能力開発を思い、ライバルに勝つための能力として受け止める人や、現実逃避のものとしてあこがれを持ってしまう人も出てくるでしょう。
ですが、こういったメンタリティを持ったまま修行へ進んでしまいますと悲劇が起きるようです。
仏教の修行では、欲望や汚れをもったまま進めていくと、かならず壁にぶつかるといいます。そうしてそれを無理に乗り越えようとすると、心身に変調を引き起こすようです。
こういったことが実際に起きていて、特に文明人に顕著だといいます。
ミャンマーの人々は、文明がまだ及んでいなこともあって性質が非常に素朴といいます。
のどかで、のんびりとした牧歌的な農村の多い所ですので、こういった所で生まれ育った方というのは、精神世界の修行を誤りなく出来る基礎が出来ているといいます。
文明が発達し、小さい頃からテレビやメディアの影響を受けていますと、欲望や論理的思考が染みついています。
自分が「欲望に汚染され、論理的や理屈で物事を考えすぎるのが強い」ということ自体を自覚できている文明人は、ほとんどいません。
といいますか、むしろ欲望を正当化させる理論武装にも走って、何とかして欲望を否定しないように策を講じていきます。これは資本主義というフレームの中で生きていくための現実的な対応策ですね。やむを得ません。
ですが、欲望を肯定したままの状態では、高度な精神修行はできないといいます。もっと素朴で素直になる必要があるようようです。
欲望が強く、汚れた状態、高度な精神修行に進めば、おかしくなるからです。
日本人が仏教修行をするために必要なこと
日本人の場合は、まず修行ができる基礎作りから行っていく必要があったりします。
日々のあり方自体、心がフラットで、安定していて、素朴な、そんな人間作りを意識的にしていかないと修行が進まないといったことがあるようです。
実は、この部分を仏教では「戒」と言っています。
これらのことは、教わらなくても、本能的に直観して気がついている人達もいます。
ですが、意識的に導いていかないと、現代ではかなり難しい様子です。うつ病とか、そういった状態になってしまう方も多くなっていますので。
文明人の場合、仏教の修行以前に必要な条件があるようです。