業(カルマ)の本当の意味とは?

輪廻転生について昨日から(※1,2,3)書いていますが、輪廻転生と関連するのが「業」。カルマですね。

業(カルマ)はご存じでしょう。
ですが、最初にお断りしておきたいのは、近年使用されている意味と、本来の意味は違うということです。

「え?」と思うかもしれませんが、通常使われている「業」の意味は、本来の意味ではありません。

最近はスピ系でも業といえば、何やら「運命を支配しているエネルギーのようなもの」として受け止められていますが、これは全くの誤りです。

少なくとも、本来の業(カルマ)の意味とは違います。

お釈迦さまが在世当時に言われていた「業」とは、

・行為
・結果をともなう行為

こういった意味になります。

一言でいえば、「行為」となります。「行い」です。
運命を支配するパワーのようなものではありません。結果がともなう「行い」「行為」を「業」と言っていました。

考えてみてください。
何でもそうですが、何か行いをすれば、その結果はともなってきますよね。

一生懸命に働けばお金が手に入ります。健康に注意をしていれば病気をしなくなります。

「当たり前」のことですよね。因果関係のある「行為」を「業」と言っていたわけです。

ところが近世では、元々の業の意味ではなく、もっと不可思議で運命的な拘束力を伴ったパワーのようなものとして受け止められています。当時、インドで言われていた業、または仏教でも使用していた業の意味は、こういうオカルトめいたものではありません。

どうして別の意味になったのでしょうか。一つは、インドの宗教の一つ、ジャイナ教の影響があると思われます。ジャイナ教では、カルマを断つ教えと実践を提唱しています(※ジャイナ教についてはこちらで書いています)。それと、日本に仏教が伝来し、業の考え方が変容していったと考えられます。

しかし業とは、結果をともなう行いをいいます。

まどろっこしい書き方をしているかもしれませんが、それには理由があります。

なぜなら、結果をともなわない(結晶しない)業もあるからです。結果がほとんど生じない業(行い)もあるのですね。分かりやすくいえば、特別に心が動かずに何気なく行っている行為です。こういったのは結晶化しないか、しにくいものです。

しかし心が反応した行為は業となって結果を必ず生じます。

たとえば、募金、慈善事業、寄付、こういった行為は、自分自身、または相手の心を良い方向へ動かし、良い業となり結果をもたらします。反対に、五戒や十善戒を破るような悪行為は、心が汚れるため悪い結果をもたらします。

大事なことは、これらの業がもたらす結果は、現世だけでなく、来世、次の来世・・・に引き継がれていく点です。

近年の業(カルマ)の概念は、こういった来世にまで引き継がれる現象(来世に結果を生じる現象)を拡大解釈し、オカルトめいた思想にまで発展していったことも考えられます。

ですが、元々は、運命をガチガチに拘束するような意味では無い、ということですね。業とは、「結果をもたらす行為」ということです。

まずは今回は、正しく「業」を理解することから書いてみました。

話しは続きます。