スッタニパータはパーリ仏典・小部に属するマイナーなお経
スッタニパータ。このお経は、原始仏典(パーリ仏典)の小部経典「経集」のお経をいいます。経集をパーリ語で「スッタニパータ」というんですね。
日本では有名なお経です。「ブッダのことば」として知られています。
今でもベストセラーになっています。アマゾンでも常に上位にランキングしていますね。
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けれども小部経典は主流ではありません。「スッタニパータ」は、経典の中では主流じゃないんですね。
しかも後述しますが、「スッタニパータ」は難解です。本当は難しい。読んで真意を理解できる類のお経ではないんですね。
けれども、何故か、日本では大変人気のあるお経になっています。アマゾンでもいまだにベストセラー。
「ブッダのことば」は有名なベストセラー書
スッタニパータは、本当はマイナーなお経で、真意をつかむのも難しいお経になりますが、日本では有名で、ベストセラーの仏典です。
中村元先生の邦訳「ブッダのことば」として、大変よく知られていますよね。
岩波文庫から出ています。初版が1984年。かなり昔に出版されています。
不滅のベストセラーって感じです。ロングセラーですね。
スッタニパータは最古の仏典なので人気がある?
スッタニパータは、文献的にいえば、最古層の仏典になります。お経が成立した歴史からいえば、スッタニパータがおそらく最初に作られた。
で、日本ではスッタニパータは「もっとも古い」と喧伝されています。なので人気があるのではないかと。
初めてお経に触れる人が、何を最初に読めばいいかわからないとき、「最も古い」なんていうキャッチーな言葉があれば、手にしたがるのも当然かもしれませんね。
日本で「スッタニパータ」がベストセラーなのは、岩波文庫による販売戦略の巧さかもしれませんね。だから日本では人気がある^^;
パーリ四部仏典に収録されなかった経典群の一つがスッタニパータ
ちなみにパーリ仏典の主流は、
長部
中部
相応部
増支部
の四部です。
小部経典は、四部経典に収録されなかった経典を集めてセットにしたものです。
いわば非主流経典なのがスッタニパータ。四部経典に収められなかったものや、経典の素材を集めたようなお経です。
スッタニパータはマイナーなお経なんですね。
スッタニパータ(ブッダのことば)は初心者には難解なお経~誤読もしやすい
スッタニパータは難解なお経です。出家向けの内容ですし、また誰に向かって言った言葉なのかが不明なのが多く、詩文であるため説明不足な表現や、抽象的な言い回しも多く、体系的に整理されていないからですね。
スッタニパータを読んで「仏教がなんたるか」を理解できる人は、仏教をかなり本格的に勉強したり修行した人になります。
初めて仏教に触れる人が読んだならば、文字面の意味だけを追うことになります。あるいは雲をつかむ感じを受けると思います。
で、「仏教は深遠だ」といった漠然とした感想を抱くようになるのではないかと。
本当は難解なお経になるのですが、それなのに、こんなに人気があるのが不思議でしょうがないわけです。
スッタニパータは、初心者にとっては、ハードルが高く、理解の難しいお経だったりします。中村元先生の和訳は、平易な言葉で記しているものの、初めての人が読むには敷居の高いお経だったりします。
スッタニパータは出家向けのお経
スッタニパータが何故、難しいかといえば、そもそも収録されているお経のほとんどが出家向けだからです。
在家向けではないんですね。
出家向けにお話しされていることを、在家がそのまま受取り、鵜呑みにするのは危険だったりします。
こちらでも書きましたが「犀の角」は、誤読されやすいお経の代表です。「犀の角のようにただ独り歩め」は出家向けのアドバイスです。しかも阿羅漢(独覚)となった者・なる者へのアドバイスです。
出家&完全に悟った人向けの言葉なんですね。在家&悟っていない人向けとは言い難いんです。
ちなみに在家&悟っていない修行途上の者は、「善友とともに修行していくように」とブッダはアドバイスしているんですね。善友が大事なことは同じ「犀の角」のお経でブッダが説いているくらいです。
このようにお経の理解を間違えると、トンデモないことになります。ひいては仏教の本質を誤解します。
誰に向けて説法したのかがわかりにくい
また誰に向けて言った言葉なのかもわかりにくい。そもそもブッダは「随機説法」といって、相手を見て、相手に応じて説法をしています。
なのでブッダの言葉が真理だったとしても、それはAさんという人に適切であっても、Bさんには必ずしも適していないこともあるわけです。
「真理」だからといって、万人向けということではないんです。少なくとも悟り・解脱という文脈においては、個々人の資質や傾向にあったアプローチや歩みがあって、それを踏まえての「真理」なんです。
で、そういったいろんな人に対して説法したお話しが集められて「お経」になっているんですね。
が、スッタニパータの中には、誰に向けて説法したのかがわからない、わかりにくいも説法も多かったりします。誤読しやすい理由が、ここにもあります。
平易な言葉だが難しいスッタニパータ
スッタニパータは、言葉は平易なのですが、その意味は、出家特有の生活スタイルや修行が進んだ人に特有の状態などを踏まえませんと、凡人には到底理解できないことも多かったりします。
しかも「詩(ガータ)」の形式を取っています。スッタニパータは詩文の形式なんですね。
だから説明が足りないと感じさせる文言も多くく、抽象的な表現もあります。さらには体系化されて整理した解き方になっていませんので、その真意をつかむのが容易でない箇所も少なくありません。
悟った者の心境なのか、誰かに向けて説かれた言葉なのかの区別もしにくいお経もあります。
また、誰かに向かって説かれたものでも、その相手がどういう人なのか、あるいは説かれた背景、こうしたところも、他のお経と比較してわかりにくくなっています。
上辺の言葉だけで理解すると、トンデモナイ勘違いをしてしまう、そんなリスクもあったりもします。
スッタニパータを読む際には、少なくとも「注釈」を必ず併せ読むようにする必要があります。
スッタニパータのまとめ
このようにスッタニパータは難しいお経だったりします。
- 出家向けの内容
- お経を説いた相手や背景がわかりにくい
- 詩文であるため説明不足の感がある
- 抽象的な言い回しも多い
- 体系的に整理されていない
にも関わらず、平易な言葉で邦訳されている。上辺の理解、文字面の理解はできても、本当に理解できるとは限らない。
スッタニパータは、仏教を実践して何かを体感体現したり、深く勉強した人でないと、その意味をきちんとつかむことができない箇所も少なくありません。
平易な言葉で和訳されていても本当は難しい。活用や適用する際に、慎重になる必要もあったりします。
平易な言葉で邦訳されていても、内容は出家向け。高度な教えが詩で表現されたものもあって、活用や運用していくにあたって、慎重さと注意が必要なお経だったりします。
上辺の言葉だけで理解しますと、誤読率が高くなるお経といっていいでしょう。
スッタニパータは「難解な」お経だったりします。それが、日本では不滅のベストセラーになっています。
とても不思議な現象ですね^^;