「人身受け難し」の言葉は2600年前の少ないインド人口が背景にある
こちらでも書きましたが「人身(にんじん)受け難し」。⇒「人身受け難し」は法句経182よりの言葉
「法句経(ダンマパダ)182」がオリジナルで、明治の頃に大内青巒居士が東京帝国大学の仏教青年会らと作成した「三帰依文」でも説かれる有名な文言ですね。
仏教では古来より「人身受け難し」と言われています。「人間に生まれてくるのは難しい」という意味ですね。
しかしですね、ブッダがこの言葉を言われた時代を検証してみますと、意外な事実が浮き上がってまいります。今日は、そんな「人身受け難し」の真実についての考察です。
で、結論を先に言いますと、なんと、当時ブッダがもっとも活躍されたインド北方部のブッダガヤのあるベナレス辺りで人口が約3万人。たった3万人!
この人口数は、たとえば東京都の離れ小島である大島・八丈島・三宅島の人口合計くらいなんですね。それが北海道の広さの土地に点在している感覚です。
おわかりですかね?
現代の感覚でいえば「過疎地」なんですね。当時のインドは、都市ですら過疎っていた。人間が絶対的に少なかった。
なので「人身受け難し」なんです^^
当時のインドの人口を踏まえると、まさに「人身受け難し」。人間に生まれ変わってくるのは難しい(絶対数が少なかった)。そういうことなんですね^^
で、今日はこのことを記事では検証してまいります。
で、まず世界人口がどれくらいだったかということですね。次に、当時のインドにおける人口は、どれくらいだったかということ。そして、ブッダがもっともご活躍されたインド北部(ブッダガヤ近くを焦点に)の人口を類推し計算していきます。
こうしたことをしている人は、たぶんいないんじゃないかと思います。今日は興味深い記事ではないかと思います。
ブッダは紀元前600年(今から2600年前)のインド北方部でご生誕
「人身受け難し」。
これは最古の仏典(原始仏典)の小部経典にある「法句経(ダンマパダ)182」にあるブッダの言葉になります。今から約2600年前の言葉であり、お経なんですね。
ブッダは今から2600年前のインドの北方でお生まれになっています。実際には、ネパールの国境近くのルンビニーという花園でお生まれになっています。ザックリいって、インドの北部です。
で、ブッダガヤのあるベナレス(ビハール州「パトナ市」)の人口を目安にして、ブッダの時代に、どれくらいの人がいたのかを推定してみます。
【参考】ビハール州パトナ(ベナレス)
ここはインドのビハール州にある大都市。紀元前からの古代インド時代から栄え続けるインド北方部の大都市です。
・ブッダの出身地「マガダ国」の首都
・ブッダが悟られた「ブッダガヤ」
・インド最大の寺院があった「ナーランダ」
・マウリヤ朝の首都
・クプタ朝の首都
があった都市です。ブッダにもゆかりの深い宗教都市でもあります。日本の感覚でいえば京都・奈良に近いかもしれませんね。
紀元前600年の世界人口~1億人:現在の日本の人口とほぼ同じ
で、まず紀元前600年(今から2600年)頃の世界人口と、現代の世界人口とをみてみましょう。 ⇒世界人口 – Wikipedia wikiの情報によりますと、
・世界人口(2015年)・・・73億人(7,300,000,000人)
・世界人口(紀元前600年頃)・・・・1億人(100,000,000人)
とあります。
ちなみに日本の全人口が約1億2千万人。 ⇒出典:総務省統計局
紀元前600年頃の「世界人口」は、日本の人口とほぼ同じくらいだったわけですね。
紀元前600年のインド人口~1800万人:現在のニューヨーク人口とほぼ同じ
次にインドにおける人口を比例配分して類推しますと、まず2015年におけるインドの人口は約13億人です。⇒出典:世界の人口ランキング – 世界経済のネタ帳
・インド人口(2015年)・・・13億人(1,300,000,000人)
・インド人口(紀元前600年頃)・・・・1800万人(18,000,000人)
となります。
紀元前600年で約1800万人です。
これは現在のアメリカ・ニューヨークの人口1700万人とほぼ同じになります。
これが今から2600年前におけるインド全域の総人口だったわけですね。⇒出典:世界の都市圏人口の順位wiki
しかし、意外と少ないですね。ここだけから判断しても「人身受け難し」ですね。
ええ、この「人身受け難し」という言葉は、当時のインドの全人口を踏まえると「ごもっとも」と言えるかと思います。しかし、さらに計算を続けましょう。
紀元前600年のインド北部人口~3万人:現在の熊本県阿蘇市や北海道根室市とほぼ同じ
で、お釈迦さまがもっとも活動されていたインドの北部の人口ですね。今から約2600年前です。
インド北方にあるブッダガヤ近くのビハール州「パトナ」の人口を例にあげて類推してみますと、⇒出典インドの都市圏人口の順位 – Wikipedia
・インド・パトナ人口(2015年)・・・200万人(2,046,652人)
・インド・パトナ人口(紀元前600年頃)・・・・3万人(27,397人)
当時、約3万人。
ブッダガヤ近辺でおそらく3万人くらい。どんだけ少ないよってことです。
3万人ですと、日本では人口順位で730位くらいの
・東京都 大島・八丈島・三宅島の人口合計
・熊本県 阿蘇市
・北海道 根室市
といった過疎の町になります。⇒出典:日本の市の人口順位 – Wikipedia
紀元前600年頃(今から2600年前)の、お釈迦さまが活躍していたインド北方部は、熊本県阿蘇市や北海道根室市、東京都の島々の人口3万人くらいの地方だったんですね。それが北海道の広さの土地に点在している感覚です。
現代の感覚でいえば「過疎地」です。当時のインドの首都ですら過疎っていた。人間が絶対的に少なかった。
2015年の現在、パトナの人口は「200万人」。
2600年前当時は現在の約1/73の「3万人」。
大都市ですら、今の感覚ではかなりの田舎。ここまで少なかったわけですので、まさに「人身受け難し」なのも当たり前ですね^^;
お釈迦さまご在世当時は人間の数が少なかった~現在の約73分の1
こうして見ますと、この「人身受け難し」の言葉は、当時におけるインド社会の人口数とも関係があるんじゃないかと思います。
ブッダが活躍されたベナレスのブッダガヤ(現在のビハール州「パトナ」辺り)で人口が約3万人。これは北海道の面積に、根室市や熊本県阿蘇市の人口3万人が点在している感覚です。かなり過疎っています。
現代の感覚でいえば、過疎もいいところの過疎地で、ド田舎って感じでしょう。これが2600年前のブッダの時代の人間の分布です。
絶対的に人間の数が少なかった時代。こうした時代では必然的に「人身受け難し」となりますね。
「人身受け難し」という言葉は、「人間は善処の生命」であるとか、何かそんな仏教的な深い意味があるともされています。
けれども当時のインド社会においては、人間の数が絶対的に少なかったので、そもそも論として、生命は人間に転生するチャンスが少なく、「人間に生まれ変わるのは難しい(争奪戦)」だったとも考えられます。
絶対的に人口が少なかった。それ故に「人身受け難し」。もしかすると、そういうこともあるんじゃないかと思いますね。
案外シンプルに「当時は人間の数が少なかった」ということで「人身受け難し」だったのかもしれませんね。