「いじめ」はよくない、「いじめ」はやっちゃダメ
「いじめ」はよくありません。
しないほうがいいです。
ええ。
というのも、「いじめ」をすると、必ずとばっちりが返ってくるからです。しかも、度肝を抜くようなツライ目に遭うようになります。
仏教では「いじめ」をすると、トンデモない災難に遭うことを、2600年前のお経で説いています。
今日は、そんな知られざる「おそろしい」話しです・・・ザ☆恐怖かもしれません(´・ω・`)
「ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)」が説く「いじめ」の報いの怖さ
ブッダは善人や罪なき人を「いじめる」ことをすれば、大変な報いが訪れることをお経で述べています。
そのお経は、ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第28章「悪」です。
ブッダの言葉から引用してみましょう。
26-29
手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速(すみ)やかに出会うであろう
(1)激しい痛み
(2)老衰
(3)身体の傷害
(4)重い病い
(5)乱心
(6)国王からの災い
(7)恐ろしい告げ口
(8)親族の滅亡(ほろび)と
(9)財産の損失と
(10)その人の家を火が焼く
この愚かな者は、身やぶれてのちに、地獄に生まれる。
ご覧の通りです。
短いお経です。
しかし内容は深いんですね。
少し解説をしないと、わかりにくいかもしれません。
特別に問題の無い「ふつー」の人を「いじめ」ると報いは必ず返ってくる
まずお経にある「手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々」ですね。これは要するに「罪もなく、批難される理由も無い、何も悪くない人」のことを指しています。別段、何も悪くない人ですね。
具体的にいえば「ごくふつーに、明るく、他人とも仲よくし、親切に、ほがらかに生活をしているような、そんなごくごくふつーの人」ですね。
あるいは「温厚で、やさしく、丁寧で、人々の和を大事にして生活をしている人」ですね。仏教的にいえば、こうした人は「善人」になります。
つまり「善人」に危害を加える(つまり「いじめ」をする)ならば、この人生において、上記の災難災禍に遭うということなんです。
もっとハッキリといえば「現世で地獄の災難災禍にあって、生まれ変わっても地獄の災難災禍に遭う」ということなんですね・・・。ええ、そういうことなんです(´・ω・`)
ちょっと怖い話しだったりします。いえ、ちょっとどころか、かなり怖い話しなんです。てか、最悪なわけです。
ただ単に「気に入らない」とか「おもしろくない」などの理由で、「善人」もしくは「特別に何も問題の無い『ふつー』の人」を「いじめ」たり、「危害を加える」ことは大変な罪で、報いもどっかーんと返ってくるってことなんです。
しかも、その報いは「現世で必ずやって来る」ということなんですね。さらに「来世でも報いがやってくる」と。ヽ(`Д´)ノウワァァン!! なんです。何一ついいことが無い。
「いじめ」をすると悲惨で不幸な災難災禍に必ず遭うようになる
では、「善人」や「特別に何も問題の無い『ふつー』の人」を「いじめ」たり、攻撃すると、一体、どういう報いがやってくるのか。
先ほどのお経を、かみ砕いてわかりやすく言うと、
- 激痛に襲われる、病苦で苦しむ
- 老化が速くなる
- 身体が損壊する、病気やケガ、事故で身体が不自由になる
- 重篤な病、難病になる
- うつ病などの精神病になる
- 国からの不当な扱いを受ける、冤罪に遭う
- 陰口や告げ口により失脚する、濡れ衣を着せられる
- 家族・親戚に災難が起きる、不幸が重なる
- 財産を失う、自己破産する、貧乏になる
- 火事、火災の被害に遭う
ご覧の通りです。
こういうことなんですね。
こういったド不幸な災難災禍に遭うといいます。不幸のオンパレードです。どれも悲惨で人生を破滅させる重たい災難災禍ばかりです。
これが現世だけでなく、来世でも巡ってくると。どっひゃーーーです。
「いじめ」をすると、こうした報いがやてくるというんですね。しかも「速やかに出会う」とあります。
なので数年後か、あるいは現世のいつか遭遇するんでしょう。しかも来世でも災難災禍に遭うようになると。
怖いんですね。
てか、怖すぎ。
「いじめ」はしないほうがいいんです。
ええ。
しちゃいかん。
まったく割にも合いません。
中でも日頃善いことをしていたり、特別に問題もない人を「いじめ」るのは最悪です。途方も無いド不幸が巡ってくるようになります。
ネットでの「いじめ」「嫌がらせ」にも注意
最近ではインターネットが発達していますが、ネットで不当な「いじめ」「嫌がらせ」をする人もいます。
特別に問題もなく、どちらかといえば善いことをして社会を益しているにも関わらず、難癖を付けたり、悪意をもって攻撃したり、誹謗中傷を繰り返す人、そんなおかしな人がたまにいます。
けれども、こうした人こそ、まさにこのお経に該当する人なんですね。「手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々に害を加える」人です。
特別、悪いことはしていない。にも関わらず、攻撃したり、誹謗中傷し、いじめる。
こうした人は、上記に挙げた災難災禍に必ず遭います。現世で遭います。この人生で必ず遭う。来世でも遭う。ブッダは、このように言われているんですね。
「いじめ」はやらないほうがいいんですね。
てか、やっちゃダメですね。
自分の身のためでもあります。
罪深い行為なんです。
そのしっぺい返しは、上記のように、途方も無くマイナスの報いとして返ってきます。
「いじめ」をし続けているとおかしなオーラを出すようになる
で、日頃から「いじめ」「意地悪」をしている人は、特有の臭いを出すようになります。そういう臭い(波動)を「燻習(くんじゅう)」といいます。
燻習(くんじゅう)は「行為の臭い」なんです。行ってきたことの香りが匂いとなって染みついているんですね。それが「燻習(くんじゅう)」です。全身から、そういう「波動」を出すようになります。
人に意地悪をし、泣かせ、苦しめ続けてきた人は、暗く、よどみ、粘っこい気持ちの悪いオーラを出すようになるんですね。ええ。そんな「燻習(くんじゅう)」を出すようになったりします。
ちょっと怖すぎなんですね。
ええ。
マジで怖い話しだったりします。
「慈悲・ハート」「自己観察」で過去の罪をつぐなうこともできる
しかし、もし「いじめ」をして、その過去を反省し、償いをするならば、その罪は軽減されると思います。
そのためには「慈悲」「ハート」を実践し続けることですね。他人にやさしく、親切にし、寛大になることですね。
人は、時に間違いを犯したり、物事の道理がわからず罪なことをしてしまうときもあります。特に子どもの頃や若い時は、勢いもあって罪なことをしてしまうときもあるでしょう。そういう過去や悔恨の気持ちがある場合は、「償(つぐな)い」「罪滅ぼし」ですね。
「慈悲」「ハート」を日々行い、継続することで、過去の罪は浄められるようにもなると思います。
もっとも、罪深いことをし続けていた場合は、やはり、その罪過を受けると、ブッダは言います。
しかし、それでも、「慈悲」「ハート」が大切なんですね。そもそも「慈悲」「ハート」があれば、おかしな「いじめ」はしなくなると思います。
結局、大事になってくることは、
・「慈悲、ハート」の実習や実践で、ハートフルになる
・「自己観察」を続けて、自分の本心や動機を確実に把握する
といったことなんですね。
いつも言っていることだったりします。
「慈悲、ハート」(慈しみの心)は、途方もない素晴らしいギフトが、その実習者や実践者に授けられるようになります。
無条件の愛・慈しみの心(慈悲)がもたらす驚くべき11の効果
- 熟睡、安眠できるようになる(思い悩んだりクヨクヨしなくなる)
- 朝の目覚めがよくなる(朝から気分爽快で明るい気持ち)
- 悪夢にうなされることが無くなる(不安、恐怖、怯えが減ってポジティブになる)
- 人から愛され、好まれ、歓迎される(いじめが無くなり、人間関係がよくなる)
- 動物からも愛され、好かれる
- 神様、天人からも愛され、好かれる(守護神、守護霊となる)
- 火・毒・剣の災難に遭わなくなる(火事、中毒、事故、ケガ、病気にあいにくくなる)
- 禅定(初禅)に入ることができる(瞑想が進む、ワンネスを体験する)
- 顔色が良くなる(表情が明るくなり、オーラも雰囲気よくなる)
- 朦朧(もうろう)としない(集中力が高まり、ミスが減る。認知症にならない)
- 死後、最高の神になる(亡くなった後は神や天人になる)
素晴らしいですね。
先ほどあげた「いじめの報い」とは、まるっきり正反対の美徳です。「いじめ、攻撃心」の正反対が「慈しみの心、慈悲、ハート」なんですね。このことは知っておくとよいかと思います。
と、今日は、原始仏典の小部にある「ウダーナヴァルガ(ブッダの感興のことば)」第28章「悪」のお話しでした。「いじめ」はイクないですね。