人間は善行が大きくできる特別な生命
天界の神々はプラス思考で固定されがちで心を自在に動かしにくく、しかも極上の幸福感を受け続けるので、自ら善行をするのが難しいようです。このことは前回お話しさせていただきました。
ところで、心を自在に変化できないのは、地獄や畜生、餓鬼も同じといいます。実は、唯一、人間だけがダイナミックに心が変動する、心を変化できる生命になるようです。このことは、実は非常に重大なことであったりします。
心を自在に変化させること、たとえば自発性を発揮したり、意思をもって行動すること、あるいは感情を動かすことは、人間である私たちには当たり前のことなです。しかし、人間以外の生命では難しいことのようです。
ですので、善行ができるのは原則的に人間だけになります。仏道修行ができるのも基本的に人間だけになります。反面、ダイナミックに悪業を積むことができるのも人間の特徴であったりもします。
いかがですか、これを聞くと相当、驚きませんか?そうして、人間という生命の特殊性が見えてきませんか?私たち人間は何かを見聞するにつれて、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりします。
喜怒哀楽とも申しますが、この感情の変化をダイナミックに起こすことができるのは唯一、人間という生き物だけになります。
ですので、以前、ご紹介しましたが、畜生(動物・虫)に転生すると人間に生まれ変わることが難しい、となるわけです。動物になると、善行する気持ちが出てこないからです。むしろ弱肉強食で食うか食われるかの世界ですので悪業を積みやすくなるのが畜生の世界です。動物から人間に転生するのが難しいのもうなずけます。
餓鬼もそうです。餓鬼は、自分の前世を知っていますので、何故、自分が餓鬼になったのかを知っているそうです。動物と違って、思考が働きますので、「ああ、善行をしていれば、善行をしていればこうならなかったのに・・・」という気持ちにもなるようです。
ですが、思っても気持ちがともなって行動ができないため、人間にもすがったり、時には「このようになってはいけませんよ、善行してくださいねえ・・・」お説教もすることが出てくるようです。
ちなみに地獄の生命は、ひたすら「熱い熱い」「痛い痛い」という苦痛の感覚しかありませんので、ほとんど思考も働かないようです。
そうして神々は、これらとは正反対で、ひたすら「楽しい楽しい・・・」という感覚を享受し続けるため、自発的に善行をする気持ちもでなく、またしにくいといいます。
つまり、六道の生命のうち、人間以外の生命は「業」というエネルギーを消費続けるだけになるわけです。人間だけが意思を使って業を積むことができるトリッキーな生命ということでしょう。実は人間は特殊な生命だったりします。
天界は素晴らしい世界ですが、善行を自発的に行うのが大変のようです。なかなかできないといいます。ひたすら善業のエネルギーを消費し続けて、そのエネルギーが切れたら別の生命に転生。これが天界の法則のようです。
バッテリーが切れたら別の生命に転生するようでもあり、天界とは実に、一時的に快楽を享受できる世界のようですね。
しかも、天界の次に果たしてもう一度天界に転生できるかどうかの保証はありません。
ですので、この六道輪廻からの脱却というのが、仏教はテーマにもするわけですね。次は何に転生するか分からないロシアンルーレットのような輪廻転生です。不確実性な要因があり過ぎます。
ですから、仏教は、この輪廻の鎖を断ち切って涅槃を目指すのも宜(むべ)なるかな、といったところでしょう。
お釈迦さまの卓見も実はここにあると思います。
天界に生まれてどんなに極上の幸福を享受できても、いずれその幸福をサヨナラするときがやってくる。そうして人間に生まれ変わって善業をなして、また神々に転生するという堂々巡りによってしか、実は幸運を享受できないという事実。
輪廻の束縛を離れたいというのもうなずけます。
話しはさらに続きます。