幸福になれる二つの道
幸福になれる方法には、2つの道があります。
一つは五感を満たす方法。もう一つは五感を満たさない方法。
真っ向から対立する関係になっています。ですが、どちらも幸福感を得ることができます。
仏教が提唱する方法とは、五感を満たさない方法です。
端的に言いますと、仏教で提唱する幸福とは、「執着を手放す方向性の上に実現される幸福」です。仏教は、執着を手放す方向に進んでいきます。
現代人は五感を満たさない幸せがわかりにくい
しかし欲望を強く満たすことに慣れ親しんでいる現代人の場合、多くは執着を手放すことに拒否感や嫌悪感を示します。なので五感を満たさないしあわせ感がわかりにくかったりします。
といいますか、これが文明人の正常な反応です。むしろ嫌悪を抱く場合は、多くは病的なケースになります。
現代人は、仏教の「執着を無くすベクトル」の修行に対して、いろいろな理屈を付けたり理論武装して、欲望を肯定する説を生み出すことも出てきます。
こういうのは仕方ないですね。そう思っています。大切なのは「そういうカラクリで欲望を肯定したいのだ」と喝破することだと思います。
現代文明の中で生きていますと、欲望を否定しての生活は成り立ちません。結局、現代人の場合は、欲望(執着)と欲望(執着)を手放すことの「バランス」が大切になってくると思います。
しかし「執着を手放す方向に進む」のが本来の仏教ということですね。
執着を手放す幸福感
執着を手放すことを続けていると、言語を絶する幸福感を体験するといいます。
しかし本格的に執着を手放さなくても、手放すことから得られる幸福感は体験できたりします。しかも意外と簡単に。
それは、普段の生活の中で、リラックスして微笑んだ状態になったりすることです。
この状態をよく観察していますと、五感が満たされるのとは違って、内側からわき起こる幸せな気分だったりします。落ち着きさを伴いながらも、気持ちが明るくなって幸せな気分になっています。
しかも、執着の少ない状態になっています。
これが、何らかの対象が無くても、五感を満たさなくても、自然と内部からわき起こる幸福感です。
五感を満たす幸福感
一方では、五感を満足させて幸福を得る方法もあります。
旅行に出かけて刺激のある世界や心やすらかににる風景を見たり、美味しい食べ物や、素晴らしい映像やビジョンを見て幸福感を得る方法。
また優れた人物と合って、エネルギーに満ちた感じになる方法。
あるいは成功する様や願望をイメージして幸福感を高めるやり方もあります。
これらの方法は、五感を満たして幸福感を得る方法ですね。
ですが、これら五感を満たす幸福感を得ている時の自分の心を観察していくと、根底に欲望や緊張が渦巻いているのが分かります。欲望を満たして満足しているというか。
五感を満たさない方法と、満たす方法との違いは、本質的に異なってきます。
手放すか五感を満たすか?
一方は、執着の無いところから生じる幸福感。もう一方は、五感を満たすことで得られる幸福感(執着から得られる幸福感)。
仏教では、執着を手放すところから得られる幸福感を追及していきます。
ですが繰り返しになりますが、現実的なことからいいますと、五感を満たす幸福感も無いと現代人は生きていけませんね。つらくなってしまいます。
ですので、「こういうことなんだな」と理解した上で、「執着の無い幸福感」と「執着から得られる幸福感」の両方を実現しながら、なおかつ、無理なく執着の無い幸福感にシフトしていくことだと思います。
まとめ
以上のことを整理しますと、次のような言い方もできると思っています。
・プラス思考
執着を得て五感を満たす幸福感
・気付きの瞑想
執着を手放して、心の内側からわき起こる幸福感
「幸福になる・幸せになる」ということだけから言えば、2つの道があるということですね。
仏教は、執着を手放して幸福を得て、究極的には輪廻の壁も越えて涅槃に至ることを提唱しています。