ボランティアと善行

以前に書いた記事を読み返しますと少々誤解を受けそうなので補足いたします。

善行は、心の有様や動機が大切であると書きましたが、ボランティアや社会貢献があまり意味が無い、ということではありませんね。

どちらが「大切か」ということになります。

一般的には、実績や姿や形、量の多さなど、見た目で判断されることが多く、善行に関しても同じように扱われることが多いのですが、仏教の善悪の基準に照らし合わせると、「それは違いますよ」ということです。

「善行」といえば「ボランティアをしないといけなんですよね」「社会貢献をしないとダメなんですよね」と思われるケースが多いのですが、決してそうではないということですね。

基本は、「心をきよらかにする」ということになる、ということです。

ここを理解できると、無理にボランティア活動としなくても、日々の生活の中で善行ができることに気付くようになります。何気ない行為や、家族や友人、知人へのさりげなくうるわしい言動も善行になることに気付くわけです。

普段の生活の中から、善行ができる、ということなんですね。

実際、ボランティアとかが苦手、という方もいらっしゃいます。性格や気質によって苦手・得意はあります。ですので、それぞれができることをやっていくのが大切です。

また、こういう基本的な善悪の見方をするようになれば、無理を強いたり、言わなくてもすむようになります。

ですが、出来なら社会貢献やボランティアはやったほうがいいでしょう。できるならそうすることがお勧めです。やはり社会や人様に対して、何らかの支援や施しを行うことは、お釈迦さまも推奨されていました。

直接的な支援もさることながら、金銭的援助、あるいは良い考え方は判断方法を教えてあげるとか、こういったことも広く含めて、「施行(せぎょう)」として推奨されていました。

ただし、悪い心でやったなら、それはあまり効果が無いといいますか、意味を成さなくなるということです。そうして、実際に、悪心を起こしながら、行っている方もいますので、せっかくの善行を台無しにしているようでもったいないですね。

また「自分はこれだけ人助けをしているから」と驕り高ぶってしまうケースもあります。横柄でぞんざいな態度を取り、人を上から見下ろすようなことが多くなったりします。これでは何のためにボランティアをやっているのか、分からなくなります。

こういう現実がありますので、悪行為に陥らないためにも、また普段の生活の中で善いことが行えることを知っていただくために、あえてコントラストを強くして書いたところがあります。

理想的には、善い心で社会貢献やボランティア、募金活動といったことをすることになると思います。ですが、量の多さ、活動の広さとかではなく、自分ができる範囲で取り組んでいくことということになると思います。

積極的にされるのは大いに結構ですので、気持ちのある方は遠慮したり控え目になりすぎないで、積極的にされるのがいいと思います。積極性は大切です。挑戦する気持ちも大切です。志を持って取り組むことは大切です。

心を抑圧するのではなく、また興奮したり感情を激しくかき立てるのではなく、リラックスした中庸のある感じで取り組むのが良いようです。

この辺りの感性といいますか、状態は人それぞれでしょう。あと相性とかもあり、他の要因もあります。ですが、ポイントは心の状態ということですね。

そうしてお釈迦さまは、在家に対しては「生天の教え」として、

戒(かい)・・・心をきよらかにしましょう
施(せ)・・・他人や社会に何らかの貢献・施しをしましょう

を説いておられます。

車の両輪の如く、どちらも大切であるということですね。現代はともすると、戒をおろそかにしがちです。両方を備えることが大切ということですね。

そうして「心を浄める」ということがより重要になってきて、仏教の目指すところにもなってくるということです。