昨日の記事(汚れた心での人助け)は、カルマとか、転生に関する話で、不安や恐怖を抱きそうですので途中で止めましたが、続きを希望される方がいらっしゃいましたので、そこで、続きを書いてみたいと思います。
できるだけ不安や恐怖を持たれないように注意して書いてみたいと思います。
原始仏典の「相応部・聚楽主相応」の中に「聚楽主相応(じゅらくしゅ-そうおう)という経典があります。この中に「歌舞伎聚楽主(かぶき-じゅらくしゅ)」というお経があります。
ここでいう歌舞伎聚楽主とは、今でいうところのお笑い芸人などの芸能人やタレントです。経典中「真実を真似て、人を笑わし」とあります。これは、物真似タレントや、演技の上手な芸能人、お笑いタレントであることが、文脈から分かります。
お経での話しは次の通りです。
ある芸人が「芸人は、人を笑わせ楽しませるので、死後、天界(神さまの世界)へ生まれ変われると言われていますが、どうなのでしょうか」とお釈迦さまに訪ねます。お釈迦さまは「そういうことを聞いてはなりません」と三度、答えを避けたといいます。
それでもその芸人は、死後の行く先を聞いたのでお釈迦さまは「仕方ありませんね・・・」と重たい口を開き、「人を笑わしたりする芸人は、死後、地獄の世界へ行きます」と語り始めます。
その理由は、芸人は、見ている人々の感情をゆさぶり、刺激して、怒りや欲望を強める気持ちを作り出すからだといいます。簡単に言ってしまうと、芸人は、見ている者の煩悩を強めるから、というのが理由です。
これはショッキングな話しです。
現代でもテレビには、毒舌を吐いて笑いを取ったり、下品な言動、大騒ぎをしたり、人を小馬鹿にすることを言って笑いを取るタレントが多く出ています。また殺人や不倫、暴力を扱ったドラマも多く、人を不快にするために役者もがんばって演技をしています。
あるいは、調子の良いことを言ったり、嘘も平気、人のご機嫌を取ることばかりしている政治家。
テレビを付けると、こういう人達が多いですね。もちろん、そうではない方々もいますし、番組によっては心が洗われるものもあります。ですが、上記のように、見ている者の心を曇らせるものは多いでしょう。
原始仏典の歌舞伎聚楽主を読むと、テレビに出ている人達の多くが悪行為であることが分かってきます。このことは、初めて聞く方は、相当なショックを受けるかもしれません。少なくとも驚くと思います。
しかしお経で言われなくても、テレビやマスコミに不快感を抱いている方は少なからずいらっしゃいます。テレビはほとんど見ないという人も昔からいますね。
ある禅僧は「一切、テレビを見ません」と言われます。この禅僧に限らず、テレビやマスコミの本質を見抜いている方々は、ほとんど見ません。本能的に心が汚されることが分かっているからですね。
テレビやマスコミの流すメディアの影響を受けることは多いものです。これらの媒体は、洗脳相装置のように働き、見ている者の煩悩を強めてしまいます。できるだけ、こういったメディアからの影響は受けないように注意したほうがいいでしょう。
テレビの影響を受けてしまうと、人を小馬鹿にしたり、からかったりすることを親しみであると勘違いするようになったり、暴力や不倫といった悪行為も「別にいいじゃん」と認めるようになったりして、悪い習慣や思考が身に付いてしまうことも出てきます。
さらに、おそろしいのは、これらに慣れてしまい、感性が鈍ってしまうことです。こうなると、善悪をかぎ分ける感性そものは鈍り、「癡(ち)」を増やし、明晰な判断力や洞察力が得られなくなっていきます。
一言でいってしまいますと、「頭が悪くなっていく」ということです。判断能力も適切でなくなりますので、ますますメディアに洗脳もされやすくなっていきます。
芸能人は人気稼業、テレビに出ているから、高額所得だから「それは素晴らしい」と安直にとらえると、大変なことになります。姿や外見、所有している物の量の多さに惑わされることなく、心の有様を観察して、真実を見抜く目を養いたいものです。
怒りや嫉妬、貪欲や落ち着きの無さ、粗暴、短絡性、こういった心を汚すことが習慣となってしまいますと、死後の転生先にもよろしくない様子です。
今回の話しは、ちょっとショッキングな内容だったかもしれません。ですが、聚楽主相応経は、心をきよらかにする生活がいかに大切かが分かるお経だと思います。
ちなみに、聚楽主相応には、もっとインパクトのあることが書いてあります。人の死後に関することですが、こちらも驚くことが書いてあり、常識を根底から覆す教えとなっています。また今度、ご紹介するかもしれません。