仏教のルーツは原始仏教
仏教と一言でいっても数多くあります。実は仏教は一つではありません。仏教は今から約2500(2600年)年前に、インドで誕生した宗教です。ゴータマシッダルータ(釈迦牟尼)が最初に説いた宗教です。
しかし歴史を経る中において、仏教は変遷し、部派仏教、初期大乗仏教、中期大乗仏教、後期大乗仏教が登場し、最期に仏教はインドではほぼ消滅しました。
仏教は変遷したといっても、実は原始仏教(部派仏教)が、インドで仏教が滅びるまで主流でした。初期大乗仏教、中期大乗仏教、後期大乗仏教が登場しながらも、インド仏教の主流は原始仏教(部派仏教)でした。
仏教は唯一「原始仏教」がオリジナルの仏教になります。仏教のルーツは原始仏教ということですね。
仏教の要諦
仏教といえば「難しい」という印象もあるでしょう。しかし仏教とは「心をきよめる」教えと実践のことになります。心浄めるために「こだわり・執着を手放す」ようにします。
もっとも「心を浄める」といっても実際は「何もしない」「あるがまま」という言い方になります。が、言葉の通りに行うと間違ってしまいますので、ここに仏教実践の妙味があります。
実はこれが仏教だったりします。この仏教の本質については、こちらに書いてあります。
「心を浄める」教えと実践が仏教ですが、この仏教のポイントを整理しますと、
になります。
実のところ、これら4つが仏教の核心部分にもなります。特に「四諦」は重要です。
四諦を理解できていれば、仏教は理解できたものと同じです。もちろん仏教は頭だけで分かるものではありません。「悟り」という直接体験が必要です。悟り無くして仏教とはいえません。
ですが、悟りを得なくても、頭で理解できる部分はあります。そうして頭で理解できるところをまずは正しく学習して知っておくことですね。
仏教の教えは複雑?
しかしそうは言っても「仏教とは複雑」と思われる方もいらっしゃるでしょう。確かに仏教は、複雑になっていしまっている所があります。
しかしこれは、仏教史の影響があります。
仏教は約2500年~2600年の歴史がありますが、発祥したインドでかなりの様変わりをし、それが日本に伝承されてしまいました。仏教はインドでは変容・変質しながら13世紀にはほぼ滅んでしまいました。
しかし中国や日本では、この歴史を踏まえず、お釈迦さまが一代で説いた教えとしてしまいました。
つまりインドでは、約1700年かけて変遷した歴史を考慮せず、お釈迦さまの80年間の生涯において全て説かれたとして取り扱ってしまったわけです。実はこのことが仏教を複雑で難解なものにしている最大の原因です。
仏教は、1700年かけて変容しながら複層的に幾種類もの仏教が登場しました。この仏教史を知っていれば、仏教の学習方法がわかります。
端的にいえば仏教は「原始仏教」を学習すれば事が足ります。変質変容した仏教は参考程度のものとして取り扱うことができ、本質的な仏教の姿を鳥瞰することができるようになります。
ですから、仏教を学ぶ上で、歴史を踏まえることは大変重要になってまいります。
ではその仏教史とは何なのでしょうか?
仏教史を知ることが正しい仏教を知る第一歩
先も触れましたが、仏教はインドで誕生したものの、何度か変容変質しています。仏教の教えが時代によって変化変質しているのですね。こういう話しをはじめて聞く方もいらっしゃるかもしれません。また驚く方もいらっしゃいます。
しかしこれは事実です。インドでは教えが変容しています。いえ変質すらしています。仏教は諸説はありますが大雑把にいえば下記のような歴史的変遷を遂げていきます。
◆原始仏教(根本仏教)・・・紀元前4世紀(または5世紀)
↓
⇒ スリランカに原始仏教伝来・・・紀元前3世紀
◆部派仏教(アビダルマ)・・・紀元前3世紀頃(仏滅後100年後)
↓
◆初期大乗仏教(中観)・・・紀元前1世紀(仏滅後約300年後)
↓
⇒ 中国に仏教伝来が始まる・・・1世紀
◆中期大乗仏教(如来蔵・唯識)・・・3世紀(仏滅後約700年後)
↓
⇒ 中国を経由して日本に仏教伝来・・・6世紀
◆後期大乗仏教(密教)・・・7世紀(仏滅後約1100年後)
↓
◆仏教消滅・・・5世紀からのインドでの仏教弾圧、13世紀のイスラム侵攻により滅亡(仏滅後約1700年後)
このようにに変質していきます。仏教は、インドでは時代毎に変化変容し、最後は密教にいたってヒンズー教を取り入れて、13世紀にイスラムに侵攻されてほとんど消滅してしまいます。
インドでの主流の仏教は最後まで原始仏教(部派仏教)だった
ただし注意していただきたいのは、原始仏教が消滅して部派仏教が登場し、部派仏教が消滅して初期大乗仏教が登場した・・・といった変遷を遂げたということではありません。
原始仏教(部派仏教)の次に初期大乗仏教が登場し、初期大乗仏教の次に中期大乗仏教が登場し・・・といった具合に、新しい仏教が登場し、複層的に重なっていったということです。
先にも少し触れましたが、インドでは仏教が滅びるまで、原始仏教(部派仏教)が主流でした。
何故、インドでは仏教が消滅したのか?
では何故インドでは仏教が消滅したのでしょうか。
この理由には諸説ありますが、直接的な原因は、インドでは仏教の弾圧を行い、それに加えてイスラム教徒による侵攻があったからです。
しかし弾圧を受けても宗教は消滅することはあまりありません。インドで仏教が滅んだのは、インド人の哲学的思想体系を好む気質と関係があると考えます。
仏教は、知性のみで分かる宗教ではなく、実践を重んじる宗教でありますが、教義的には曖昧な部分があります。
このことは、ジャイナ教と比較すると明確です。ジャイナ教では文字や概念でビシっと規定をして曖昧さを払拭しています。そのためか、インドでは今もなおジャイナ教が盛んです。
お釈迦さまは「無記」といって明確にお答えにならなかった教えがいくつかあります。しかも仏教の最大のテーマである「涅槃」について明確に言葉で言い尽くせないとして涅槃に関する状態などの詳説を避けています。
このことが哲学好きで思想体系を好むインド人の気質には耐えられなかったと考えます。
インド人は仏教をなんとか完全な思想体系化しようと試みたものの不完全となり、最終的にはヒンズー教に飲み込まれて密教の時代を最後に、消えていったのでしょう。
原始仏教の次に発達した部派仏教では、実は、仏教の哲学体系を精力的に試みます。しかしこれが不完全さを残し、まさにこのことが「部派」を生み出します。
知的な理解や表現において微妙な違いが出てくるのですが、この違いが部派になり、後の仏教史の変容へとつながっていきます。
インド人のこの哲学的体系化を好む嗜好が仏教に部派を生み、思想の上に思想を作り上げ、この構築作業の末にヒンズー教をも取り入れて収集がつかなくなり滅んだと考えています。
インドでは、精力的に仏教の思想化・哲学化に励むのですが失敗し、仏教の変遷を遂げて消滅の道を歩んでいます。
原始仏教(部派仏教)が伝承されるテーラワーダ仏教圏
しかも原始仏教(部派仏教)がほぼ完全な形で現在も残り伝承されている地域があります。それがスリランカをはじめ、ミャンマー、タイ、カンボジアといった「テーラワーダ仏教圏」といわれる地域です。
もっとも部派仏教の一つの分別説部が伝承しています。
実は、原始仏教の時代、紀元前3世紀頃、原始仏教(部派仏教の分別説部)がスリランカに伝来しています。そうしてスリランカからミャンマーやタイに伝播していき、東南アジアに広まっていきます。
皮肉なことに仏教が誕生したインドではほぞ完全に消滅したものの、東南アジアではむしろ原型をほぼ保ったまま伝承されていきました。これがテーラワーダ仏教と呼ばれる仏教になります。
伝承されているといっても厳密にいえば変質している部分もあります。
東南アジアでは伝統的な仏教が今もなお保たれて実践もされているといってよいでしょう。(5世紀頃のブッダゴーサの計らいにより、経典への完全な保全が施行され、原始仏典はほぼ完全なかたちで残るようになっています。)
インドでは仏教の破壊が起きてしまいましたが、保守的で温厚かつ伝統を重んじる東南アジアの人達の手によって、仏教はほぼ原型をとどめながら伝承されてきたようです。
国民性の違いが、仏教の破壊と保持に大きな違いを見せていると考えられます。
日本の仏教の特徴~ガラパゴス仏教
インド以外の東南アジアでは、原始仏教は保持されてきました。では日本ではどうなのでしょうか。日本も仏教国として知られています。
日本の場合、中国を経由して仏教が伝わってきています。日本の仏教は中国産が多かったりします。中国で体系化された仏教を正統的な仏教として、日本では文化も隆盛していきました。
しかしながら日本の仏教は、後世に作られ発展した大乗仏教が主流となっています。しかもインドでは大乗仏教としてみなされなかった仏教です。
インドにおける大乗仏教は中観派・唯識派のみだった
ちなみにインドにおける大乗仏教は「中観派(初期大乗)」と「瑜伽・唯識派(中期大乗)」の2つになります。この2派のみが正統な大乗仏教とみなされていました。
日本で馴染みのある法華経、阿弥陀経を元にした仏教は、インドでは大乗仏教にカウントされていません。中国において法華経、阿弥陀経は重視されて、それを宗教化したスタイルが、日本に輸入されています。
これが日本の仏教です。飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代に勃興した日本の仏教のほとんどは、こうした中国仏教をひな形としています。
このような現象が起きた原因は、輸入元である中国での仏教理解の誤りにあります。
五時八教説の誤り
中国では、仏教を輸入した当時、1700年にわたる仏教の変遷を知らなかったため、1700年分の仏教の様変わりを、なんと「お釈迦さまが一代で説いた教え」であると解釈し、歴史的変遷を無視した教えの体系化を試みます。
これが6世紀の頃、「智顗(ちぎ)」という天台宗の開祖が行った「教相判釈(五時八教説)」です。
智顗は、1700年の仏教の変遷を、お釈迦さまが一生の間に行ったものと勘違いし、大乗仏教の法華経が最もすぐれた教えであるとして序列の体系化を行います。
五時八教説とは
1.華厳(中期大乗仏教)
2.阿含(原始仏教)
3.方等(大乗仏教)
4.般若(初期大乗仏教)
5.法華涅槃(初期大乗仏教)
という流れでお釈迦さまが一生の間に法を説いたとする考え方です。
最後の法華涅槃時に説いた教えこそ最も優れているとしている点に、この序列体系の特徴があります。
日本の仏教を再考する必要性
このため日本では、インドでは省みられなかった大乗仏教が主流になります。五時八教説は情報不足が原因による誤った体系です。しかし当時はこれが正しいと信じられていました。
日本では、この五時八教説の体系に基づき、国家が主導して仏教を取り入れて「鎮護国家」として布教し定着していきます。
日本の場合は、東南アジアとは違って、歪んだ形で仏教が導入され広まっていった歴史があります。しかも個人の救済ではなく国家安泰のために導入されています。
しかし大乗仏教の多くは「執着を手放す」という仏教としての教えの根本がありますので、変容しているといっても仏教的でありましょう。
仏教を学ぶなら原始仏教(部派仏教)から始めるのがおすすめ
けれども同じ時間を割いて仏教を学習するなら、原始仏教をまず最初に学ぶ方が賢明でしょう。仏教の教えには、時代によって変容し変質もしていますが、原始仏教を学ぶことが、正しく理解することになります。
私たちが仏教を学習する際、オリジナルの仏教、すなわち原始仏教を学べばよいわけです。インド人が後世に試行錯誤した思想的仏教よりも、ダイレクトに原始仏教に当たって学ぶことが近道であり、正しい理解と解釈が可能となります。
このサイトでは仏教のルーツであるところの「原始仏教」をわかりやすくかみ砕いて説明しております。皆さまの学習と理解にお役に立てればと思っております。
2012年5月3日
2020年11月12日(改)