仏教は、
心を浄める
教えであり、実践であることは昨日、書きました。
具体的な実践の仕方は、
八正道(はっしょうどう)
になります。
そして、「心を浄める」ことと「八正道」を組み合わせると、
四諦(したい)
になります。
これが仏教になります。
そして、一番重要なのは、
心を浄める
ということになります。
「心を浄める」というのが軸になり、仏教のスタートラインになります。
そして、心を浄めるために、仏教では「八正道」の実践をいたします。
さらに、教えと実践をまとめると「四諦(したい)」になるわけですね。
ここの辺りを整理しますと
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・目的と教え・・・心を浄める
・実践内容・・・八正道(はっしょうどう)
・これを一つにまとめると・・・四諦(したい)
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となるということですね。
仏教では、基本は「心を浄める」ということになります。
ですので、物事の判断、善悪もすべて「心を浄める」を基準にしていきます。
逆の言い方をしますと、煩悩を無くす、煩悩が無い、という言い方をします。また善悪基準も、心が浄まっていること、煩悩が少ないことが正しくなります。
ところで「煩悩を無くす」という表現を使いますと、いろいろなイメージもあって抑圧的なニュアンスに受け止められやすいところがあります。ですので、「心を浄める」と言ったほうが、現代ではフィットする感じです。
厳密には、「煩悩を減らして減らしていく」といったニュアンスのほうが、実践上は役に立ちます。このことは、追々書いていこうかと思います。ですが「煩悩を無くす」といっても、決して「否定」や「抑圧」のニュアンスではない、ということですね。
分かりやすくいいますと「超リラックス」という感じのほうがピッタリしてくると思います。あるいは「手放す」とか「解きほぐす」といった感じです。マイルドでやさしい、微笑みのあるニュアンスが近いのではないかと思います。
ですので、煩悩を無くす = 心を浄める = リラックス = 手放す
といった感じだと思います。
日本では、「煩悩を無くす」といいますと、どこか力強さや厳しさのイメージがあり、「煩悩断滅!」といった荒々しさもあります。ですが、本当は、やさしさや温かさをともなった微笑みのあるソフトな心に近くなります。
このように仏教の言葉一つとりましても、従来の語感を修正していく必要もあると思います。
話しを戻しますと、仏教は、煩悩を無くす、つまり「心を浄化する」というのが目標であり、大きな軸であり、幹であって、柱となっているわけですね。
ですので、仏教では、「心を浄める」という軸だけは、ぶらしてはならないことになります。